上野昂志の映画日記・・番外編「今月の一押し」

『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

監督=青山真治 主演=浅野忠信、宮崎あおい



 そこでは海は青くない。茶褐色に濁り、耳を聾するような音を立て、視界を遮るように波立ち、岸に打ちつける。海に続く砂丘を、防毒マスクで顔を覆った2人の男が歩き回る。砂丘に建てられたテントの中にはいると、つい先程まで食事をしていたような食卓の上では、食べ物が腐り、蠅が飛び回っている。ベッドでは、男が血にまみれて死んでいる。だが、2人は、それをありふれた光景のように淡々と眺め、食卓を飛び回る蠅のうなりをマイクに録る。
 『神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや』という意味のヘブライ語をタイトルとして持つこの映画は、このようなシーンから始まる。物語の時は、2015年。このとき世界は、視覚映像によって感染し、自殺衝動を引き起こすレミング病が蔓延していた。発病を抑制する唯一の方法は、2人の男が演奏する爆音ともいうべき音を聴くことだという……。
 物語は単純である。レミング病に感染した孫娘(宮崎あおい)を、なんとか救おうと念じる富豪(筒井康隆)が、探偵(戸田昌宏)を使って2人のミュージシャン(浅野忠信と中原昌也)の所在を突き止め、彼らに演奏を依頼するというだけの話だ。だが、その単純なストーリー・ラインを構成する画面の質感と音が、類い稀な力感を湛えて、見る者を圧倒するのである。
 監督の青山真治は、もともと音楽をやっていたし、彼が、浅野忠信とコンビを組むミュージシャンに起用した中原昌也も、作家であると同時に音楽家である。だから、2人が音を採集したり、音作りに励んでいるシーンが、現在進行形のドキュメンタリーでもあるかのような臨場感に満ちているのだ。その点でこれは、青山真治における『ワン・プラス・ワン』(ゴダール・68年)という趣を持つ。
 だが、ゴダールにおけるローリング・ストーンズが、映像や言葉と対比・対決するものとして位置づけられていたのに対して、青山真治の場合は、圧倒的な音の渦のなかに、映像の自明性を巻き込み、それを揺るがそうとしている点で、68年のゴダールより強く深いのである。それは、冒頭の茶褐色の世界とは一変した緑の丘陵で浅野が演奏する、本作のクライマックスに端的に現れているといえよう。これはもう、劇場で見て、イヤ、体感してもらうしかない。そこではもう、音によって救われるか否かという物語の帰結は問題ではない。いま、ここに鳴り響く音のうちに目を閉じ、身を投じること、その一瞬に生の輝きがあるということを、ほかならぬ視覚映像としての映画で見せているのだ。なお、久しぶりにスクリーンに登場した岡田茉莉子が、死の風が吹き荒れる時代のなかでも端然として生きる女の風格を見せているのも嬉しい。

テアトル新宿ほかで公開中ですが、3月3日(2006年)までなので、心ある人は劇場に走るべし。